かしこくもなりたいし、女の子にもなりたかった。

とってもガーリーなゆるふわ愛され何でも屋を目指す、30代男性がお送りするファビュラスなブログ。

僕は、スイカという果物が苦手だ。

タイトルの通りである。僕はスイカという食べ物が苦手だ。 確かに食ったら美味い。甘いし、塩味を付けると尚更だ。

食うと美味いのは知ってる。でも最後には、皮のあたりの味のない部分を食う事になる。

人は面白いもので、第一印象が肝心という割に、記憶に残るのは最後の印象なのだ。

僕はスイカが嫌いだ。そして、故に人も苦手だ。これは今後も変わらない。 そして私自身も、そういった理由で良い印象を持たれていないかもしれない。後味を良くする努力なんてするつもりないしね。人生は短いのだ。自分のリソースは、最大限自分の思うべき事に注ぐべきなのだ。人との関係性を取り繕うリソースなどない。人なんてそんなもん。後味気にしてられるか。

これが持論、そして行動原則だ。
これは何があっても変わらない。変えるつもりも無い。 人にも押しつけない。だから人の後味も気にしない。

そしてもう一つ、私の人生観に一つ大きな影響を及ぼした物がある。 それは、「違和感には必ず原因がある。注意深くそれを探し続ける事」そして「自分の納得」という事の尊さを教えてくれた、古い友人の死だ。

これからするのは、そんな話。
生きてりゃ起きる、そんな話。


俺と「あいつ」

もう3年ほど前、ある男と仲違いした。

同じ芸大の同期で有り、悪友でもあった。まあその経緯は理由は色々あるし、その理由は正直こんなところで書くべき話でもない。

かつて仲は良かった。それは俺の一方的な勘違い出なければ、間違いないと思う。

アメ村というものが思い出の地になったのは、間違いなく奴とつるんでいたからだったし、クラブだったりダンスミュージック趣味は奴から教えられた物だった。間違い無く今の生き方に繋がっている。

大学時代はくだらない映像を作ってはゲラゲラ笑ったりしたものだったし、とあるボ○ロPとモメた時にも思えばその愚痴にも散々乗ってくれたりした。

思えば「もしデザインを任せる時があるのなら、お前に任せる」などと言ったのはこいつが最初だったね。大学に入る前から仕事はホソボソとやってたけど、そんなことを言うのはこいつだけだった。

最後につるんでたのは、俺が大阪での最後の仕事に就いていたときにその職場に誘ったとき。そして最後に顔を見たのは、大阪でのその職を辞めた日だった。これが後の仲違いの大きな火種になるわけだが....


家政婦は見てる。俺も見てる。

まあ遠巻きに度々様子を覗っては、かつて俺が共に生きてきた時の生き方とは全く違う、正直頭をひねるような状態だったのに少々残念な思いをしていた。そ、偉そうに言いながら、人の様子はたまに気になったりするのよ、ワタクシ。

まあそもそも人のやる事の是非なんてのは他人が決める問題じゃない。そんなこた知ってる。ただ、あれだけ拘っていた自分の世界をあっさりとほっぽり出した状態だったからね。あんだけクラブミュージックとかシンセとかそんな話で埋め尽くされてたところが、急にまるっきり世界変わってるんだもん。そりゃあそう思うわ。

結局の所は様子を覗うのも何時しかやめた。いつかはまた風の便りが届くだろう。そう思って。

そして時は経つ。

あいつは今どうしてるのだろう?そんな話を古い大学からの付き合いと話す。それが先月の話。


便りが無いのは、良い知らせ。だれだよそんなこと言った奴。

判らない物だね...と思った。 その時には、もう旅立っていたらしい。享年31。同世代だ。それが今日知った話。

奴は昔の仲間の誰にも知られないままこの世を去っていた。

病状も聞いた。ずいぶんな大病だった。そして今の今までこの時代に伝わらなかった当たり、「本人がそれを希望したのだろう」と風の便りの主に言われた。それは概ね正解なのだろう。俺も実際そう思う。

どう思っていたかなんて想像をするつもりはないが、これが奴の意に反していない事を心から願う限りだ。


後悔、ではないな。そんな言葉俺はしらない。

はっきり言っておく。俺は嫌いなものは嫌いだし、それを覆すものは生き死にじゃない。自分で言うのも何だが、そんな軟弱な価値観で生きていない。それに、最後にあいつの腹の内でどう思われていたかなんて事にも興味がない。それは知ったところでどうにもならない。

でも、もうすっかり曲も作らなくなっていたあいつが、最後は曲を幾つも作っていたという話を聞いて、俺は内心嬉しかった。なんだ、知らない間に面白い事やってんじゃん、と。

そんな面白い事やってることを言う相手として俺が選ばれなかった。その点は後悔だ。コレは紛れもなく俺自身の選択の結果なんだし。


五線紙のその先

5年前の2/26、葬儀に向かっていた。冒頭の古い友人の葬儀だ。

僕が持って行ったのは、スケッチブック。アーティストには、アーティストとしての弔い方をするべきだと考えたからだ。皆に思い思いの事を書いてもらい、葬儀業者にこっそり棺に入れて貰った。

今でも俺は鮮明に覚えている。あいつはスケッチブックに5本のラインを引いた。同じく音楽とアートを生き方に選んでいたものとして、やはり死して尚アーティストで居続けて欲しいと願ったのだ。あいつはその古い友人との付き合いが一番深かった。弔辞を読んだのもあいつだった。

そんなあいつの、葬式すら知らなかったというのは、故人に言うことではないが「お前。そりゃないわ」とも言いたくなる。でもあいつは俺が5線譜など引かなくても、その続きを書く奴なんだと今は思えるだけ、良かったと素直に思う。


俺はスイカも人も嫌いだ。後味が最悪だからね。
でもこれだけは間違い無く言える。
お前は確かに、良い味してた。最後に顔みたのが、その時の職場の社長と喧嘩して辞めたときだったし、はっきりいってそういう意味でも後味は最高に悪かったが、でも色々知らないところで面白い事やってたんだな。イケてるよ、そういうの。

今晩は、かつてのアメ村のオールのクラブイベントを思い出しながら、部屋でテクノとトランスと酒に浸ろうと思う。浮かぶ限りの、あいつのセットリストを思い出しつつ。