かしこくもなりたいし、女の子にもなりたかった。

とってもガーリーなゆるふわ愛され何でも屋を目指す、30代男性がお送りするファビュラスなブログ。

もうすぐ結婚1周年。

この記事に意味はない。ただただ嫁に惚ける、それだけである。 知ってる人は知っている、僕の困った嫁さんとのただただ惚気話。

adventar.org

25日頂きました、Harada Yanane "Moses" Kiyohideでございます。

馴れ初め

嫁さんとなるヤヤネ嬢との馴れ初めは10年前の2chである。

当時は別の彼女もおり、結婚相手になるなんぞ夢にも思わなかったものの、 当時から見ていて危なっかしい女でしかなかったヤヤネ嬢は、キノコを部屋に生やしたり、金がないから電気が止まっただのガスが止まっただのと生活力のなさがあちこちから漏れ出しまくっている凄まじいキャラでありkirinsan.orgを共にする共通の知り合いであるniu氏と口をそろえて 「頼むから生活費がないなら出させてくれ」と思わず口にする始末であった。

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ヤヤネ嬢をハッカソンチームに加えていた最初の経緯は、 「食うモノに困ってるならケータリング出るから飯食うつでに作業手伝え」 という かなりトンデモな理由である。

(まあとはいえ、好き勝手に言う嫁さんはそれなりに役に立つのである)

そんな中私は私で人生を歩んでおり、数年ほど続いていた彼女と関係が終わったり、実家一族との不仲が回復不可能なレベルで進行したり、それはそれでいろいろな事が続いており、特に後者が理由で婿入りを考えて結婚出来ないかと割と本気で考え始めていた。

たまたまそんな中、「金ないから余ってるスマートフォンくれ」とこれまたトンデモな事を言い出すヤヤネ嬢に「金困ってるなら、生活面倒見るので名字変えたいので結婚しません?」 とこれまたトンデモな事を申し出てみた訳です。

まあ華麗に笑ってスルーされるような話なので、まあそういうつもりで2年近く過ぎたときに突如電話で「あの話はなかなか良い提案だと思う」と 意味のわからない事を言い始め、そこから結婚に事が進んだ。忘れもしない一昨年の年始、正月早々の相当に謎いイベントである。

そう、紛れもなく恋愛でも見合いでもない契約結婚という提案から我々の関係は始まった。

何度思い返しても頭おかしいなぁ、と。

雑に要約しよう。「10年前に2chで知り合った女性に偽装結婚を申し出て結婚した」そういうことである。

結婚するまで。そして事件。

結婚してからすぐに思ったのと違うと破局するのもアレなので、1年間の準備期間を設けた。

僕は部屋から大きなガラクタを処分し、嫁の居住空間をどうにかして確保したりした。 失礼な表現であることを承知で言えば、まったく女としてみたことのない相手との結婚である。お互い辛い思いしたくないのだ。

そうした中で相手方のご両親の承諾を取り、うちの壊滅的なまでに交流を経っている僕の親戚筋の中でわずかに交流を残す所にも顔を見せ、最低限の面通しをお互い済ませ、 少しづつ生活を統合していった。なかなかに新鮮な体験である。

そんな中起きたのが僕の退職である。 他人事のように書いているが、前職はとある事がきっかけで主に精神面で体を壊して丁度去年の今頃に出社できなくなり、 電車に乗るだけで動悸がするレベルでいろいろ来ていた。これが書き連ねられた強制退職の条項の中に適合した為に私は自動解雇と相成る。

嫁さんは持ち前のマイペースさで「にゃーん」ぐらいの受け止め方をしてくれていた。懐が広いのである。素晴らしいと思った。

僕らは元日に入籍することを決めていた。 よりにもよって僕は実質的に収入を失って1週間程度で結婚をすることとなったのである。正直これ嫁さんの実家には怖くて言えないな...と 今でも思う。ちなみに今でもそのとき無職になったと僕は言ってない。言えない。

まあ我ながら頭おかしいなと思ったが、年明け早々に入籍すると決めていたしね。

正月ムードを味わいたかったし、なによりあまり人目に付きたくなかったので、寒空の下嫁さんを単車の後ろに乗せて区役所に向かいって入籍を済ませ、 都内の主要な神社を回って帰ってきた。

f:id:takustaqu:20171225012614j:plain (入籍時に撮られた写真。なにげにこういう写真は貴重なので、今となっては感謝だ。あとこんな時もPokeGoPlusを離さない俺)

僕の最終出社日は12/22だったらしい。記憶も大体それぐらい。

クリスマスの直前の事であったが、嫁さんそれにも動じずにクリスマスの準備を進め、料理好きであることもあって家でケーキを焼いたりなどして楽しませてくれた。なんだかんだ思い出深い時期なのである。

家に嫁さんがいて、こういう生活っていいな、と僕は心底思った。結婚の本当に直前である。

結婚してから。

僕は結果として4月ぐらいに身の振り方を大体決めるまでほぼ家に引きこもっていた。

減り続ける貯金や、そんな中に届いてしまうNintendo Switchゼルダで時間が恐ろしい勢いで溶けていく様にも動じずにマイペースでいてくれた嫁さんだったものの、この間にかなりのレベルでADHDを持つ嫁さんがあらゆるファンキーな事をしでかす 事から、Dash Buttonでいろいろ工夫してみたりチャットボットを作ってみたりなど、いろいろ引きこもっている間にチャレンジ してみた。

この頃は割と本気でもうコードを書く仕事を辞めようとしていたけど、結果この辺と何故かHoloLensを買ってしまったりしたこともあってか仕事の縁も出来、起業を勧めてくれた方々のおかげで自分の会社を建てて再スタートを切れた。

結婚直後の数ヶ月間、ほぼ家に居てべったりだったのは、 今になってバタバタ慌ただしく動いてるので、比較的落ち着いた時間を持てたのは今になって良かったと思う。

反面家を空けるようになってから、火の元や鍵の閉め忘れをはじめとした所からさらに想像を絶するやらかしが増えてきたので、 こういった事を一つ一つテクノロジと工夫でいろいろ解決方法を模索する毎日だ。嫁さんの苦労自体は理解できているかは自信が ないが、共感はあるので、どうにかしてやりたいという気持ちは強い。

アドベントカレンダーの趣旨的なところで言うところのITエンジニア的な面は特にこの辺ではないだろうか。ちなみに我が家は メインのコミュニケーション方法がSlackだったり、家のあちこちにセンサー付けて嫁さんの様子が大丈夫かを確認したり、 夜の生活をロギングしてみたりと、まあ変な事も含めていろいろ試す原動力となっている。このうちいくつかは嫁さんと同じ ADHDで苦労をしている人たちの一助にできるのではないか?と考えている。

きっかけはどうだろうが、実際問題愛はある。

こうして同棲してから約2年、結婚して1年、果たして自分はどういう感情で嫁さんと向き合うのか?と思ったものだが、 面白いもんで、気がついたら思った以上に嫁さんの事を考えながら生きているかもしれないと思った。

のろけているつもりもないが、嫁さんの話も無自覚によくしているらしい。お好きなんですね、と言われる。

結果として家庭に馴染めなかった僕としてはここからも帯を締めて向かうだけなのだが、良い夫婦と思われるように生きていたいと、そう思った。

去年も結婚の直前のクリスマス、嫁さんはクリスマス気分を味わいたいといろいろ料理とケーキを作って準備してくれた。 あのときも、「こういうの、良いな」と思ったものである。

今年も嫁さんはケーキを作り、丸焼きの鶏とそれを取り囲む料理でクリスマスを感じさせてくれた。

これからもこうであってほしい。そう思ったときに、僕はちょっと泣きそうになった。

もうすぐ結婚1周年。今年はどこにも連れて行けてないけど、元旦は去年と同じようにCBRの後ろに乗ってもらって、都内の神社の弾丸ツアーに繰り出そうと思う。もちろん、結婚するにあたって決めた本籍地である神田明神にも。

何が言いたいかっていうと、 「変な理由で結婚しましたけど、愛しております。これからも、よろしくね。」って事です。

以上、公開惚気終わり。