かしこくもなりたいし、女の子にもなりたかった。

とってもガーリーなゆるふわ愛され何でも屋を目指す、30代男性がお送りするファビュラスなブログ。

フィルムのレガシーに別れを告げる年

平成最後の夏。 フィルムメーカーは銀塩の生産規模を大きく下げてもう久しい今。

今年のPhotokinaで遂に発表されたのが、これ。

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Lumix S。遂に我らが愛しのm4/3をPanasonicが捨てる日が来たのである。 マウントは予想もあったLeica系のLマウント。

そして何よりも意外だったのはこの陣営にSigmaも加わるとかなんとか。Sigmaが動画に強いカメラを作るとは思えないが、この陣営に加わったことでFoveonによる映像撮影ももっと力を入れてくれりゃ幸いである。

そして今年の目玉はこの分野にC、N共に入ってきたことだろう。気づけばプロユースにもSonyが染み込んできた中でようやくの参戦である。

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そういや、ミラーレスの走りであるPanasonicがm4/3を始めたのはいつだろうか...調べると2008年らしい。丁度10年前。 この頃に私はLumix G1を買っている。長らく離れていたカメラと写真に引き戻してくれたのが、このカメラだった。

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ミラーレスは登場時から賛否両論だった。EVFはやれ解像度がたりないだの、レイテンシーがあるだの。 確かにそれはその通り。

ただミラーレスのカメラを初めて触れたときに思い出したのは、数十年前に子供の科学の写真講座(そんなコーナーがあったんです)で、確かサンダー平山先生だったかが仰ってた言葉。

確か、一眼レフの優位性は完成形に近い状態をファインダーで確認出来る事にある、みたいな話だったかと思う。

まあ勿論写真家である氏からすればレンズが交換できる、みたいな優位性はレンジファインダのカメラがあるから無関係だ。パパラックスなズレが原理的に起きえなく、かつレンズの特性をファインダで確認出来るというのは非常に理にかなった説明である。

上の説明が僕のミラーレスに対しての理解である。 露光による仕上がりまで完全にファインダで確認出来るミラーレスの優位性は本来一眼レフが志向した理想そのものだと確信したのは言うまでも無い。 レイテンシもEVFのダイナミックレンジの問題もいつかはテクノロジが解決してしまう。これこそがフィルムで一眼レフが為し得なかった事だろうと。


その後僕は一眼レフを買うことは無く、m4/3とEマウント系ばかりを乗り継いで行く事となる。 勿論その理由の一つに、かつての愛機であるミノルタαの延長にあるSonyの αを使いたかったというのもあるが、道具としての正統進化の先を得たかったというのがやはり一番の理由だ。

気付けば写真の楽しさを思い出させてくれたG1を手にしてから10年。

頑なにミラーレスに本腰を入れなかったCanonNikonが参入したことで、EF・Fマウント族もミラーレスへのシフトを始めて行くだろう。

デジタルで"レフ"が残ったのは、ただのファインダの性能がデジタルでは追いつかなかったから。でも"レフ"の誕生経緯はフィルムカメラの構造上取り得る方法がそれぐらいしか無かったからだ。

130年近く続いた35mmフィルムの呪縛が、ついにセンササイズぐらいのものになった。

やっと21世紀が来たんじゃないですかね。

もうすぐ結婚1周年。

この記事に意味はない。ただただ嫁に惚ける、それだけである。 知ってる人は知っている、僕の困った嫁さんとのただただ惚気話。

adventar.org

25日頂きました、Harada Yanane "Moses" Kiyohideでございます。

馴れ初め

嫁さんとなるヤヤネ嬢との馴れ初めは10年前の2chである。

当時は別の彼女もおり、結婚相手になるなんぞ夢にも思わなかったものの、 当時から見ていて危なっかしい女でしかなかったヤヤネ嬢は、キノコを部屋に生やしたり、金がないから電気が止まっただのガスが止まっただのと生活力のなさがあちこちから漏れ出しまくっている凄まじいキャラでありkirinsan.orgを共にする共通の知り合いであるniu氏と口をそろえて 「頼むから生活費がないなら出させてくれ」と思わず口にする始末であった。

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ヤヤネ嬢をハッカソンチームに加えていた最初の経緯は、 「食うモノに困ってるならケータリング出るから飯食うつでに作業手伝え」 という かなりトンデモな理由である。

(まあとはいえ、好き勝手に言う嫁さんはそれなりに役に立つのである)

そんな中私は私で人生を歩んでおり、数年ほど続いていた彼女と関係が終わったり、実家一族との不仲が回復不可能なレベルで進行したり、それはそれでいろいろな事が続いており、特に後者が理由で婿入りを考えて結婚出来ないかと割と本気で考え始めていた。

たまたまそんな中、「金ないから余ってるスマートフォンくれ」とこれまたトンデモな事を言い出すヤヤネ嬢に「金困ってるなら、生活面倒見るので名字変えたいので結婚しません?」 とこれまたトンデモな事を申し出てみた訳です。

まあ華麗に笑ってスルーされるような話なので、まあそういうつもりで2年近く過ぎたときに突如電話で「あの話はなかなか良い提案だと思う」と 意味のわからない事を言い始め、そこから結婚に事が進んだ。忘れもしない一昨年の年始、正月早々の相当に謎いイベントである。

そう、紛れもなく恋愛でも見合いでもない契約結婚という提案から我々の関係は始まった。

何度思い返しても頭おかしいなぁ、と。

雑に要約しよう。「10年前に2chで知り合った女性に偽装結婚を申し出て結婚した」そういうことである。

結婚するまで。そして事件。

結婚してからすぐに思ったのと違うと破局するのもアレなので、1年間の準備期間を設けた。

僕は部屋から大きなガラクタを処分し、嫁の居住空間をどうにかして確保したりした。 失礼な表現であることを承知で言えば、まったく女としてみたことのない相手との結婚である。お互い辛い思いしたくないのだ。

そうした中で相手方のご両親の承諾を取り、うちの壊滅的なまでに交流を経っている僕の親戚筋の中でわずかに交流を残す所にも顔を見せ、最低限の面通しをお互い済ませ、 少しづつ生活を統合していった。なかなかに新鮮な体験である。

そんな中起きたのが僕の退職である。 他人事のように書いているが、前職はとある事がきっかけで主に精神面で体を壊して丁度去年の今頃に出社できなくなり、 電車に乗るだけで動悸がするレベルでいろいろ来ていた。これが書き連ねられた強制退職の条項の中に適合した為に私は自動解雇と相成る。

嫁さんは持ち前のマイペースさで「にゃーん」ぐらいの受け止め方をしてくれていた。懐が広いのである。素晴らしいと思った。

僕らは元日に入籍することを決めていた。 よりにもよって僕は実質的に収入を失って1週間程度で結婚をすることとなったのである。正直これ嫁さんの実家には怖くて言えないな...と 今でも思う。ちなみに今でもそのとき無職になったと僕は言ってない。言えない。

まあ我ながら頭おかしいなと思ったが、年明け早々に入籍すると決めていたしね。

正月ムードを味わいたかったし、なによりあまり人目に付きたくなかったので、寒空の下嫁さんを単車の後ろに乗せて区役所に向かいって入籍を済ませ、 都内の主要な神社を回って帰ってきた。

f:id:takustaqu:20171225012614j:plain (入籍時に撮られた写真。なにげにこういう写真は貴重なので、今となっては感謝だ。あとこんな時もPokeGoPlusを離さない俺)

僕の最終出社日は12/22だったらしい。記憶も大体それぐらい。

クリスマスの直前の事であったが、嫁さんそれにも動じずにクリスマスの準備を進め、料理好きであることもあって家でケーキを焼いたりなどして楽しませてくれた。なんだかんだ思い出深い時期なのである。

家に嫁さんがいて、こういう生活っていいな、と僕は心底思った。結婚の本当に直前である。

結婚してから。

僕は結果として4月ぐらいに身の振り方を大体決めるまでほぼ家に引きこもっていた。

減り続ける貯金や、そんな中に届いてしまうNintendo Switchゼルダで時間が恐ろしい勢いで溶けていく様にも動じずにマイペースでいてくれた嫁さんだったものの、この間にかなりのレベルでADHDを持つ嫁さんがあらゆるファンキーな事をしでかす 事から、Dash Buttonでいろいろ工夫してみたりチャットボットを作ってみたりなど、いろいろ引きこもっている間にチャレンジ してみた。

この頃は割と本気でもうコードを書く仕事を辞めようとしていたけど、結果この辺と何故かHoloLensを買ってしまったりしたこともあってか仕事の縁も出来、起業を勧めてくれた方々のおかげで自分の会社を建てて再スタートを切れた。

結婚直後の数ヶ月間、ほぼ家に居てべったりだったのは、 今になってバタバタ慌ただしく動いてるので、比較的落ち着いた時間を持てたのは今になって良かったと思う。

反面家を空けるようになってから、火の元や鍵の閉め忘れをはじめとした所からさらに想像を絶するやらかしが増えてきたので、 こういった事を一つ一つテクノロジと工夫でいろいろ解決方法を模索する毎日だ。嫁さんの苦労自体は理解できているかは自信が ないが、共感はあるので、どうにかしてやりたいという気持ちは強い。

アドベントカレンダーの趣旨的なところで言うところのITエンジニア的な面は特にこの辺ではないだろうか。ちなみに我が家は メインのコミュニケーション方法がSlackだったり、家のあちこちにセンサー付けて嫁さんの様子が大丈夫かを確認したり、 夜の生活をロギングしてみたりと、まあ変な事も含めていろいろ試す原動力となっている。このうちいくつかは嫁さんと同じ ADHDで苦労をしている人たちの一助にできるのではないか?と考えている。

きっかけはどうだろうが、実際問題愛はある。

こうして同棲してから約2年、結婚して1年、果たして自分はどういう感情で嫁さんと向き合うのか?と思ったものだが、 面白いもんで、気がついたら思った以上に嫁さんの事を考えながら生きているかもしれないと思った。

のろけているつもりもないが、嫁さんの話も無自覚によくしているらしい。お好きなんですね、と言われる。

結果として家庭に馴染めなかった僕としてはここからも帯を締めて向かうだけなのだが、良い夫婦と思われるように生きていたいと、そう思った。

去年も結婚の直前のクリスマス、嫁さんはクリスマス気分を味わいたいといろいろ料理とケーキを作って準備してくれた。 あのときも、「こういうの、良いな」と思ったものである。

今年も嫁さんはケーキを作り、丸焼きの鶏とそれを取り囲む料理でクリスマスを感じさせてくれた。

これからもこうであってほしい。そう思ったときに、僕はちょっと泣きそうになった。

もうすぐ結婚1周年。今年はどこにも連れて行けてないけど、元旦は去年と同じようにCBRの後ろに乗ってもらって、都内の神社の弾丸ツアーに繰り出そうと思う。もちろん、結婚するにあたって決めた本籍地である神田明神にも。

何が言いたいかっていうと、 「変な理由で結婚しましたけど、愛しております。これからも、よろしくね。」って事です。

以上、公開惚気終わり。

夏ですね。

今年に入ってからまだエントリを1つも書いてない、飽きっぽいマンの私です。 そう、そして何気に結婚後初エントリです。もっというと、退職後の初エントリでもあります。

今年の頭の事。

いろいろあって、結婚の直前に結局退職をした私は、思いのほか精神的にグズグズだったらしく、電車に乗るだけでもうゼイゼイしてしまう有様。病院の診断は得たものの、結局通院するだけでも厳しかったので結果ほぼ引き籠もりだったのが今年のおよそ4月近くまで。

その間様々なコンタクトや打診があったものの、そんなどうしようもない中にNintendo Switchが発売、私の有り余る可処分時間は全てゼルダの伝説へと吸い取られることになります。

減り続ける蓄え、貧乏に対して全く危機感のない嫁、あらゆる面で地獄への階段をスケボーで駆け下りている中、自分の処世術である「追い込めばどうにかなる」という言葉に突き動かされ、払う宛がまったくないのにHoloLensとMacBook Proをポチってしまいました。

そんな最中に「もう会社作っちゃおう」と、某社社長に突き動かされ、私は長らく続いた個人事業主から法人へとステップアップすることになります。その時にアテにしていた新規クライアントの案件が頓挫。これは本気でやばい、油圧ない飛行機みたいなもんやでー、ぐらいの感覚になり、昔ファックサインを突きつけて出てった仕事仲間のところに「金くれ」と泣き付きに行く。これが今のビジネスパートナーです。

結局今は何をしているのか?

早い話が一人会社の社長をしています。 名は「kirinsan.inc」、正式には株式会社kirinsan。その名の通りkirinsan.orgをルーツとしている会社ですが、まだorg由来のメンバーはいません。これから少しづつ安定させ、そしてやがて皆入ってくれたらいいな、と、そんな事を理想として建てた会社です。僕にとっての一番の理想の組織は、結局のところkirinsan.org に於いてほかなりません。会社にしても、やはりそこを目指したいのです。

まあ今が1人である以上、事業内容は基本的にthe 俺であり、僕の出来ることをとりあえずはがむしゃらにこなしている現状です。広告のクリエイティブ制作から、オフショア開発チームのPM、エロゲの移植までなんでも回せるものは回しています。

そしてもう一つの大事な事業、それがkirinsan.orgの数多くのボツ案件・お蔵入り案件を世に出していくというものです。これについてはこれから順次世に出していけたらなと思います。Webサービスから画像処理技術まで、試作で終わったものを続々ネクロマンサーの如く墓から掘り起こしてまりいます。

まだまだ会社としては未熟ですが、最もアレなハッカー集団として世の中にオドロキと感動とナンセンスをお届けしていきたいと思います。

そんなわけで、今後ともよろしく、僕は生きてます。

ヤヤネ キヨヒデ

ヨハネちゃんと、一瞬の重要性

ラブライブ!アドベントカレンダー13日目、takustaquでございます。

僕は考えました。 きっとヨハネちゃんなら数字にこだわる筈。

だから選びました。13日を。

で、ヨハネちゃんならきっと、0時ちょうどにだそうとしたら、13日は23:59までだという事に気づいてきっと慌てて公開とかするはず。

だからこのタイミングで出します。決してギリギリまで何を書こうか浮かばなかったとかではありません。狙ったのです(狙ったのです)

ラッシャイのダークホース、ヨハネちゃんとの出会い。

出会いは最初のシングルのドラマCDパート。推しはずら丸になると予想していたラッシャイだっただけに、これだけキャラが飛んでる娘さんが いらっしゃるとは思わなかったわけでございます。

(買え、名盤だ。1000回聞ける)

思えばにこちゃんを推していたのもあのバ可愛さに当てられたからでございました*1。 そしてアニメ1話から僕を虜にし、ラッシャイ!5話で華麗なJKローリングを決めてくれた彼女は、僕の中にかたい決意をさせるに至りました。

「俺、リトルデーモンになる」と。

それからというものの、数字は6と13を喜んで選び、特保のコーラなどにも一切興味を持たなくなり、塗装しようとしていたバイクはオレンジ色の予定から 黒に変更し、愛称も「リトルデーモン」に変えるなど、私の生活の基準は完全にヨハネちゃんになっていきました。


ヨハネちゃんが教えてくれた、一瞬の重要性。

さて、そんなバ可愛い枠大好きな私。 ヨハネちゃんの記念すべき登場一発目である木からの落下シーンの演技が特に大好物なのでございます。

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...っ

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(はっ、これはもしかして、美味しい?!)

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(よしっ!)

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(このあたりの表情)

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(嬉しさと楽しさを)

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(隠し切れず)

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(セリフに似つかわしくない)

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(クレヨンしんちゃんみたいな表情になってて)

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(キリっと見せようとして見せれてない感)

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うん、可愛い。

この間、計測するとわずか7秒 たった七秒ですよ?このショット取るのに一時停止ボタンを連打しましたわよ。

最初は声と演技がズレてる?とちょっと思ったけど、改めて見返すとその深さがよく分かる。 まさに7秒に、ヨハネちゃんのキャラクタ性が凝縮されているといっても過言ではないと思います。

その様は1期の5話で僕の心を鷲掴みした、彼女とまさに重なります。

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(クソコラ職人 矢澤にこさん)

ヨハネちゃんはこの直後に5話まで登校拒否になり、それまでストーリーにはほとんど顔を見せなくなるわけですが、エンジニア的に学ぶべきところがあると思います。例えばプレゼンテーション。 つい余計な書き文字や長い資料を作ってしまいがちです。仕方ないです、私たちはギークなのですから。

でも、最初のツカミさえちゃんとしておけばその後はどうにかなるのです。ヨハネちゃんのように5話までろくに登場しなくても、です。 たった7秒間。その中にどれだけの情報量を圧縮できるかを彼女は見せてくれました。流石堕天使です。一生ついていきます。

...結局ヨハネちゃん可愛いとしか伝えてない気がしますが、私からは以上です。 本当はもうちょっとテッキーなネタができたら良かったんですが....

最後に。

善子じゃなくてヨ・ハ・ネ!(重要)

次はkunst1080さんでございます。

*1:後に2期のにこ回でクソコラ職人だったことが判明、私は一気に花陽に転ぶことになります。

GYOZA OHSHOに行ってきた。

先週の話だけど。

CBR600RRでロングツーリングに出れるか、自分自身の耐久性テストも兼ねて車で東京大阪間を1人で運転して往復してきた。 そのついでに同時者の希望もあって京都に降りたので、噂のあの王将に行ってきますた。


あの王将、それは京都にできたGYOZA OHSHOのことである。

なにがなんだかわからない?

じゃあこれをみてくれ。

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な、これ。

これを見せられたら、普通こう思うはずなんよ。

「チクショウ、誰がこんなことを!!!!」

的な。

かくいう僕もプレスを見た時には

とまあ、どうとも言い難い感想を持っておりまして。

とはいえよ。餃子の王将を愛する者としてはその新しい試みを体験せずにディスるわけには決して行かない。

近くに来た以上はちゃんと体験することにした。^1


OHSHOよ、俺はやってきたぞ。

烏丸の非常に立地のいい、至近距離にスターバックスが2店もあるシャレオツエリアにそれはあった。

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やばい、このオシャレ感....中に訳ありっぽい人とか誰もいない!!

この辺りプレスリリース通りである。 厨房もチラ見したが、とても訳ありそうな人がいそうにない。フレッシュかつ清潔感溢れている。

通されたのは、周囲をぐるりと壁で囲まれた非常にムーディーなところ。

お手軽イタリアンとかフレンチとか言われても信じる店内である。

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そしてこれ。あのアサヒビールロゴタイプを使った王将表記グラスじゃない。ちょっとオシャレなグラスにビールが注がれている。 なんだ、このオシャレさんは一体何なのだ。

実食

まあいい。お手並み拝見である。

2人で頂くべく餃子セットを頼んでみた。 決して興味がなかったわけではないが、王将を名乗る以上はここを外しては全てが台無しなのである。

程なくやってきた。イーガーコーテー^2f:id:takustaqu:20160313155443j:plain

このオシャレっぷりだ。オシャレなサラダと芋の炒め物が非常に良い。 そしてチーズベースの専用タレが小皿に少々注がれて添えられている。

一口口に含んで僕は抱いていた偏見を一気に捨て去った。

その見慣れないタレをつけて口に含んだそれは、紛れもなく俺の中の餃子の定義である王将の餃子なのだ。

そして、それは付いてきたスープも同様だ。

知っているそれなのである。米の炊き方一つとっても王将なのだ。

偏見を捨てよう。そして東京にも作ってくれ。

付き添いにも非常に好評で、「デートにも普通にアリ」という評を受けた。 オシャレな店内で、王将のプライス感、そして安心の王将クオリティ。

イロモノに見えて、実はとんでも無くすげえ存在なのではないかと、体験して思った次第だ。

我々が愛する王将とは、微妙にくたびれた店内にベトベトの床、原色の激しいロゴのセットかもしれない。 でも、ここにきて改めて確かめることができた。俺は求める餃子を食うために王将に行っていたのだと。

全ての店舗がこれになるのは正直抵抗ある。とはいえ、都心の数店がこの業態だったら、普通に僕は行くと思う。 多分Macを開いて、読めもしない英字新聞を脇に置いて、イーガーコーテーをつつくことだろう。

王将の発祥の地、京都に現れたそれは、紛れもなく餃子の王将であった。